SSブログ

スルヤ・ボナリー 4回転、バク宙

250px-SuryaBonaly.jpg

皆様、こんにちは! 

今日は、フランスのフィギュアスケート選手スルヤ・ボナリー選手について、

ボクはさっきTVで彼女を知りました。
泣きましたwwwwwwwwwwwwwww

では簡単に説明します!

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

生後18ヶ月で孤児院からジョルジュ・ボナリー夫妻に養女として迎えられ、体操教師であった養母シュザンヌの指導の下、幼少時は体操選手として活躍をします。
ちなみに彼女は黒人です。

スケートを始めたのは10歳。11歳の時、ボナリー一家は農場を引き払ってパリへ引っ越し、そこでディディエ・ゲヤゲに見出され本格的な指導を受けるようになる。幼少時からの体操選手としての経験と運動神経に恵まれたことで、あっという間にフランス国内大会で上位に登りつめた。その後、欧州選手権5連覇などの偉業を達成するも、世界選手権では優勝経験は無い(準優勝3回)。ジュニア時代から才能を開花し、1989年から1997年までのフランス選手権9連覇!!!


そして1992年に地元フランスで開催されたアルベールビルオリンピックから3大会連続出場!!!

しかし1度も金メダルはとっていないんです。
彼女には表現力がありませんでした。
でも彼女にはジャンプという武器がありました!
当時、誰もできなかった4回転ジャンプ!!!!!!!!
しかし、技術点が少なくメダルはとれませんでした。


1994年、リレハンメルオリンピック
までに技術力、表現力を人一倍努力し身につけかえってきましたが、
惜しくも2位。
彼女は、『4回転を飛んでも誰も評価してくれない』と嘆き
表彰式のとき、感情的になり表彰台に上りませんでした、 
首にかけられたメダルもかけられた直後にとり、会場内はブーイング。


1998年、長野オリンピック
彼女の体は老いていました。そして4回転を封印することを決意。
しかし彼女は、ショートプログラムで3回転、3回転の誰もできないコンビネーションを披露!!!
ですが点数は低く順位は5位。
この時彼女は『もう慣れました』とコメント。

そしてフリープログラム
彼女は決意していました。自分らしく行こうと!
プログラム終盤、なんと大会では危険という理由で禁止されているバックフリップ(バク宙)
をし観客をわかせました!
演技終了後、普通は審査員に向かってポーズをきめるところを、ボナリーは審査員に背を向けて観客に笑顔でポーズをとった。ルール上の禁止技を行ったこともあり、審判からの採点は伸び悩み最終的に10位に終わった。それでも指導者であり、母のシュザンヌ・ボナリーや友人フィリップ・キャンデロロの母親はボナリーを温かく迎え、点数表示板の点の低さよりもボナリーを祝福する幸せな瞬間であった。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

自分らしく生きるというのは時に簡単で時に難しい事ですね!
しかし彼女は、難しい時に自分らしさを貫きました!
皆さんも自分らしさを勇気を出し貫いて下さい!(ボクもですが汗)
そして、失敗しても前をむき良かったと思って下さい!
それが糧になり、強くなります!!!!!

長々と見ていただきありがとうございました!!
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。